2010年5月23日日曜日

京都精華大学国際マンガ研究センター 学術シンポジウム マンガ×ミュージアム脱限界論 -マンガ表現規制問題をめぐって-に行ってきました(2)

次は質疑応答編です.
ustreamを見ると質問者で名乗っておられる方もおられますが,ここでは,一般の方と思われる方は私の判断で敢えて名前を公開してありません.ご了承ください.
誤字の指摘などは twitter: @takot までお願いします.


パネルディスカッション:
吉村:
それでは第2部に入りたいと思います
確認とお願いを.
この第2部に関しては,レイアウトが変わったことからも分かりますように
フロアの皆様からも御意見をいただきつつ最新の動向

政治的な動向にきちんと向き合うこと
議論の場をきちんと持って行く足がかりにしたい
その主旨から,ややもすれば,
例えば反対に関しての政治的な集会だけでもないし
漫画論だけの場でもない
時間を長めにとっていただくことはできないかもしれないが
今日の場はインターネットで中継されているので
名前を出して良い方と伏せておきたい方
中継があるというのを前提に判断いただければ

それでは,問題は多岐にわたりますので
こちらから呼び水のような形でご指摘したいと思うのですが
藤本由香里さん,口火を切っていただければ.

藤本:
この問題については様々なところから語れるので
逆に何を言っていいのかと言うところもあるが
大事な論点がいくつも出ていると思った
一番大きいのは,条文がいきなり出てきているという問題と
条文に問題が多い
それは,斎藤先生が,あいまいな条文だとどんどん拡大解釈されていくということ
そういうことはあるし
現実が悪くなってから出てきたわけではない
むしろ,状況が改善されているから,もっとそれ以上の規制をしたいと
いうことから出て着る条文だと言うこと
7条の非実在青少年というのは自主規制で,それに
都と都民の監視が入る
それが大きい問題だと思う

しかし都の説明では条文から目をそらそうと
むしろ条文にない説明をしている
状況としてはかなり予断を許さないのだが
産経新聞でも9割が反対
もし,でも,この条例が阻止できたとしても
その次に,きょうジェニスさんのお話,ウェルとさんのお話
児童ポルノ法に創作物を含めるべきだという話があって
それが採択される流れに言っている
ブラジルでは採択されて国連でも採択されようとしている
実は日本の漫画,エロティシズム,性と暴力というのが
女性が自らの表現として選び取っていくと言うことがあった
そこら辺を全く無視して
欧米的な文脈で日本の漫画を規制しようと
キリスト教の文脈で
創作物に制限を入れているのはほとんどすべてピューリタンの国
それがそのまま日本に持ってこられようとしているということについて
これから先,そしたことについてのアピールが
日本の漫画の本質みたいな所と関わるけれど
竹宮先生もおっしゃったようにマンガかさんたち誤解しているという
キャンペーンが広がっていることにも怒りを感じている

この機会に,逆に日本の漫画の特質を世界に知ってもらえる機会であればと思う
フロアから

女性:
性暴力被害の研究をしていて
被害者支援をしつつ,この条例に反対するという
ちょっと込み入った立場

性暴力に対する
三点だけ

1.ポルノをクリーンにしたいという考えから
排除したいというのがあるのではないか
それとは別に,ラディカルフェミニズムという
エビデンスはないんだけれども,否定もできない
ポルノが性差別を助長しているという論がある
「女犯」というのがあった(書き起こし者注:『女犯坊』?)
初期に「女犯」をみることでトラウマを持ったというのがあった

2. 誰がポルノを楽しめるのか
キャラへの,子どもに見える図像のポルノを見て
性的虐待を受けた人はショックを受けるのではないか
誤解の可能性があるとは思うが
その人が悪い,その人にリテラシーがないというのではない
起きて当たり前の状況ではないか

男性がBLに対して嫌悪感をもつ
キャラ絵なのに

3. ポルノを楽しむときに,誰が誰のキャラ絵を楽しんでいるのか
リテラシーを誰が身につけるべきなのかという話の時に
ポルノを描く人には知っておいてほしいと思うし
リテラシーを学ぶためのチャンスを持つべきではないかと思うし
それは作品に話に入れてほしいと言うことではなく

斎藤:
道徳派以外のポルノグラフィ批判があるのは知っているが
今回のものは道徳派のものにちかい
ラディカル・フェミニストがポルノグラフィは性差別であると
いったのと同じような構造で.

伊藤さん:
ラディカル・フェミニズムの問題
森直子さん「女はポルノを読む」
女性はレディースコミックを読むというと
それはマスコミのデマゴギーであると見もせずに言ったと
実際にその性的な暴力の被害にあった人が
ロリコンをみて辛い思いをするというのはきいている
そういった人が,そういった自らの体験を語る手段として
ポルノグラフィという話法をもって語ることもある
しかしこれはレアケース
書き手の意識もいろいろだが
twitterのTLでフォローできる範囲で見れば
多くの描き手は非常に葛藤しながら描いている

良心の非常に強い人であるという印象を持っていて
男性に良くあるのが,最終的に「自分が男性であることを恥じる」
という,すごく自罰な方向にいく
ひとつはヘテロセクシャルな男性のホモフォビア
ひとつはホモセクシャルな男性の自罰性

でも対立点そんなになくて
お互い利害や欲望を調節せず
不愉快な思いをしない仕組みというのは何とか模索できないか
割と最近東浩紀が言っているような
政治的な意図が介在しない形でできるのではないか
お互いにハッピーな形で調整していくというのは一つの遠い目標として
いけるのではないか
ゾーニングを単に青少年の問題として捉えるのではなく
前向きに捉え直す
それは既にゾーニングと呼ばれないかもしれない

匿名希望(女性):
この表現規制が今回が最初ではない
だいたい20年前,その時大学生だったが
PTAがかわいい絵柄だと思って手に取ったらこんなひどい
有害図書排斥運動というのが出てきた
これを機にして,青少年健全育成条例というのがでてきた
今回の表現の値にあるのはこの騒動
この時には,実質発禁状態になった書籍があった
その書籍は必ずしも「こんなひどいマンガ」というのではない

もうひとつ,国の動きで,「青環法」(書き起こし者注:おそらく「青少年有害社会環境対策基本法」)というのがあり
国会に法案として出されたが廃案となった
このときネット同人をやっていて,このネット枠でその情報をしって
反対の署名に参加したが
過去に2回あった

最初の有害図書排斥運動は負けてしまった
「青環法」は勝ったが
これは最後ではないだろうというコメントがあった

性暴力の被害についても
個人の話ですが,小学3年のころに痴漢の被害にあった
運良く逃げられたが,そのあとトラウマで家から出られなくなった
その後,パソコンショップで働いていたが
エロゲーを買っていく人と紳士的に話すこともできた
そのバイトをしている間はセクハラにあうこともなかった
規制しようという人たちは人間じゃないものを見ているかもしれない

吉村:
マンガ規制の歴史にはいろんなこともあって

匿名(男性):
おおきくわけて二つあって
さっきからフェミニズム云々という話があった
この問題の議論上にフェミニストは存在するのか?という話がある
僕はその領域もある程度やっているが
ウィメンズ・アクション・ネットワークというのがあり
フェミニズムへのバッシング(に対抗すること)を目的としてつくられた
そこではこの問題が語られたことがたぶんないと思う
そのことを藤本由香里さんに聞きたい

続き.
フェミニズムが出てきてないと仮定したときに,じゃあなんでなん
これで発言しているのは強者だけではないか,これは仮定ですが
弱者が発言していない
この問題で言うような弱者というのは,オナニズムに走る男たちとか
そういうコミュニケーションの問題だと言われている弱者,ですね
BLややおいを表現している女性は,新しい表現

もう一つは,石原都知事たちと本当に対話できるのか
あの人たちは,フェミニズムバッシングがあったときに
かなり政治的な立場で,日本会議とか,統一教会とか.

斎藤:
後者について考えを申し上げておきますが
一般的に言うと,寛容の問題だと思う
いま出てきているのは非寛容だと思う
僕はリベラルな立場で考えていると
寛容というのが重要だと
そのときに非寛容な人たちは寛容できるのか
というのがすごく大きな問題
しかし寛容の側が非寛容になったら潰れてしまうだけなので
たとえ対話ができないなあとおもっても対話せざるを得ない
できるだけ政治的な問題にはコミットしたくないなあとは思っているけど
ドミノ倒し的に悪い方向にいくのも良くないと思っているので
非寛容の人にも,寛容な形で,対話を持っていくと
寛容の側が努力し続けないとダメなんじゃないかなあと思っています
じゃないと全体主義的な形になってしまうんじゃないかなあと

ジュリソン:
貴重な質問,今日だけじゃなくて続きがありそうな
フェミニズムの点については少し
日本のフェミニズムの代表でもないし,フェミニズムじたいも
一枚岩ではないし
ほんとうに,30~40年前からある議論で
発言すると分裂があったりとか
なかなか短い時間で言えないが
もう一度この観点から話すことはできるかなと
本当はもっとたくさんの表現をすることはできる,というのと
アクセスの問題,誰がみられるのか,という
今日帰ってから,私が知ってる人たちに話したいと.

藤本:
20年前のときに,行動する女たちの会,という
フェミニズムの会があった
コマーシャルで,強姦された後に見えるようなコマーシャルに
声を上げたというのがあった
しかし20年前のとき(表現規制に対抗するとき)には一緒にたたかってくれた

それは,権力によって表現規制をされてはならない,というのがある
条例として成立させないというのはある
それはいまの問題が,「児童」の問題として提起されていることが一つ,
もうひとつウィメンズ・アクション・ネットワークが中が
ごたごたとしているというのがある

ある方が図書館に電話をかけてきて,BL図書が図書館にあるのは
まずいのではないか
BL図書を青少年に「見せない」ということに反対する法律が
堺市にも大阪府にもなかったので戻されたが
もしそういう条例があったら,それに抵抗することができない
このことに関して見守っていきたいという動きは存在している

じゃあフェミニズムが声を上げていれば弱者が声を上げている
ということになるかというとそうではない

こんかいよく読まれているブログにポンコツ家族というのがあって
お母さんが書かれているもの
なにか子どもに責任があったら,すべてお前の責任だと
攻撃を受けてしまうと.
そういうことに不安になっている
だからこそ,なにかされてしまったらあたしのせいになる,
というので規制を強化してほしい,という声まで出てきてしまっていrう
そういうお母さん方の声を分かってほしい
ものすごく子育てが失点主義になっている

それから自分も幼い頃被害にあったと.
その時むしろ性愛がどういうものであったかというのを教えてくれたのが表現物であった

山内さん(弁護士):
ラディカル・フェミニズムの話が出たけれど
その文脈というのが,ポルノグラフィズムそのものが女性にたいする
虐待である
そのときに「誰に対する性暴力なのか」という視点がない
集団としてみるんじゃなくて
個々の人の人権という観点からして

確かにそういうこともある
しかしそれをいうと,交通事故の被害者であるとか
そういう経験したことでないと
それに対する表現物であると反応してしまう
性暴力はその極地
家族が殺された人という方には
どんなサスペンスもイヤだとか
そういうのを細分化していくと,自由や権利は何になってしまうのだろう
さきほど伊藤さんから共存や寛容はどうすればいいか
というのはやはりゾーニングかな,と

青少年に対して有害や無害かというのでやっていくと
恣意的になってしまうので
「みたくない権利」というのはあると思う
私は絶対アクセスできないようにしてしまう

男性がやおいやBLについて思うこと
その後の打ち上げで,僕と杉野さんのカップリングで
どっちが攻めで受けかという話が聞こえてきて
できればそれは僕の聞こえないところでやってほしかったなと(笑)

ジュリソンさん:
「見たくない権利」はいいキーワード
ヨーロッパは,public な空間はますますセクシャライズ
されてきたという事実
半裸の女の子は見たくないのに見せられてしまう
こどもに対するセクシャルな資料
そこら辺の制限を考えなければならない
しかしなぜ,マンガ・BLが問題に見えるのか
その一方で,私が過ごさなければならない公的空間に
入り込んできている
その一方で子どもたちに影響を与えていると.

最近の向こうのティーンエイジャーにみれば
できるだけたくさんセックスをもつということは
ステータスシンボルになってすらきている
MTVのミュージッククリップをみると
セックスとお金の関係は,ネオリベラルな経済主義の元で
全く新しい役割を果たすようになってきた
第3の性的革命に入ってきているんではないか
それは大きな問題としてある

物語は読んでほしい
もちろんその議論も分かっているが
この間のゼミで,『風と木の詩』とか
BLについては,「ポルノ」という言葉を使わない方がいいのではないか

ポルノのようなややこしい言葉を敢えて流用する戦略もある
しかしいまのなかで丁寧に「エロ」と「ポルノ」を区別した方がいいのではないか
その中で「ポルノ」は物語のような文脈があるか
人物(人格があるpersonとして描かれているか)関係性が重視されているか

男性:
まったくの素人なんですが,
表現は,行動と欲望のどちらなのか?

伊藤さん:
いい質問だと思います
先ほどはその辺説明抜きで言ってしまったが
行動=性的な行動というものは,具体的に対象とする誰かがいて
誰かに対して接触をおこすということをいう
抱きつくと言うだけでなくて,嫌らしい目で見るとか
写真をこっそり撮るとかそういう所まで含まれる
そこで犯罪的ニュアンスで言っちゃったけど
愛情に基づくもの,リア充的なものも含まれる
その背後に欲望はある

あなたの質問は表現行為もまた行動ではないかということだと思うが
その背後にある欲望が現実な身体に向かっているものもある

同男性:
リアル指向のエロマンガもあるが(どう区別するのか)

伊藤さん:
その作者はやってない,というところで線を引けるのではないか
じゃあ法律がないとき,政府が機能しなくなったとき
その人はやるか?

法律があってもやってる人はたくさんいるし
無くてもやらない人はたくさんいる

そういうことを考えるともやもやするし,
それは確かに欲望だが,それを直接の行動に移す
物語として
そういった欲望を抱えていながら,実際にやらない人がほとんどだと思う

表現があるからと言って,
描かれたものだけを見て,その背景に欲望がある可能性はある,ゼロではない
しかし,発電所があって事故を起こす可能性がゼロではないというのと同じ

ベルンツさん:
表現の自由を追及するか
欲望と行動が関係してないというか

同男性:
複数の欲望があって,調整したとして
それを調整したら,納得できない人はいる

吉村:
そこが寛容,ということなんではないかと

伊藤:
クリアカットはできない
境界,落としどころを常に探り続けるという話
今後も何年かおきにこういう話はあるだろう
そのときに「我々としてはこれはかなわん」というのを
継続的に言わないと
万人が納得は絶対にしないと思う
納得してしまうと,我々の欲望はなくなってしまうと思う
なんとなく釈然としない,しかしそれを少しでも減らしていくということ
おそらく

同男性:
すべての表現物については判断できないから規制すべきではない
考え続けなきゃいけないので規制はできない,ということなのか?

山口さん:
規制するかしないかという話をしたときに
基本的に,規制する際は多数決で決める
なぜ多数決で,ということをやるかというと
何が正しいかは分からないから
あくまでも暫定的な正しさ
表現の自由は制約してしまうと回復できない

消費税は5%を15%にしました,また戻しましょう,はできるが
表現の規制(で損なわれたもの)は回復できない
将来の国民が判断する考え方

いま芸術だと言われているものは,発表された当時は
芸術でなかったり,評価されてないものもたくさんある
うつろうものなので,表現してはいけない(というのはダメ)
ただ,例外があって,それは被害がある場合

特定の個人について権利侵害なされている場合は何らかの形で止めなきゃいけない

それとは違うところがあって,私はこういうものを見せられたくない
というのがあって,性的なものはプライベートなものなので

どうやって不意打ちを受けないようにするかというと,棲み分けする
しかないのだと思う
棲み分けは「存在」するものなので,あとで議論することができる
ところが東京都とかがそういうことをやると売れなくなってしまうから
基本的には特定の人を制限する話
規制を主張する側に説明する義務があるのだと言うことを
常に言い続けて,絶えず悩み続けていかなければいかない.

別の男性:
規制するための理由として,善悪の判断は子どもが付いてないから
そのために規制すべきだというのがよく耳に入ってくる

兄夫婦に小学生のこどもがいるが,
私のところにも来る
エロゲ雑誌を手に取ってしまった
止めようとしたけど,すぐにその場で,別のところに行ってしまった
小さい子どもでも,そういう判断も,本能的に判断することはできるのではないか
子どもを信じる部分というのも必要じゃないかと

善悪の判断というのは精神的に成長していくという部分はあるが
性への目覚めを意識していくというのと比例するのではないか
善悪の判断はないけど性的な意識だけ高まるというのは考えられないのではないか

表現の自由にかんして.日本が戦争に負けてぼろぼろになってから
奇跡的に豊かになった原動力の一つが表現の自由ではないか
それを規制すると言うことは日本に対して大きなマイナスになるのではないか.

竹宮:
私も子どもがいないので分からない部分はあるのかもしれないが
そのぶん,すべての子どもを自分の子どもだと思いたいという気持ちで接している
線引きをするから議論が噴出してしまうのだが
もっと細かいゾーニングをして,よい・わるいという価値ではなく
種類分けからはじめて
書店に言ったらマークが付いていて
少女もの・少年ものなんだなというのが分かるようにしてあって
手に取る人にも,ある程度の理解があって

許容範囲の中で,接していくことも必要ではないか
小学生の頃に「美しい10代」という本を読んだことがあって
ちょっとエッチな話なんですけど
そういうことが,親に聞いても分からないことをそういう所で教えてもらえる
という点がある,自分の考えの中で咀嚼していける
それができる許容を作ってほしいと思う
マンガはこれだけ豊かなのだから,手に取るようにできるだけの
ゾーニング・陳列をしてほしい
それが細かければ細かいほど分かりやすいし,差別につながるということもないのでは

女性:
性暴力を受けた人について
周囲の友達には性暴力を受けた人だとしってる
BLの作品を読んでいる
体験を,BLによって,アブストラクトのキャラクターで
リハビリのように使えるのではないか
自分の存在意義を分かるように表現をしている

『風と木の詩』もつらい経験の表現をしている
その意味で,このひどいレイプなどについての考え方,
考えようとしている作品,
怖がっているとか,
『風と木の詩』をポルノのように読むことはできない
セックスのコンテクストについての話
セックスというのは,人生の一部分
みんな考えている.
性シーンを見るとシンボリックに描かれているが,
作品として芸術的,精神的な価値がある
すごく線を引かないといけない
哲学的なセックスについての考え.

別の男性:
企業の対応について
この条例を知った人は,都議にメールを送るとか
パブリックコメントを送るとかしていると思うが
企業に於いても大きな損害を受けると思う.

条例に反対する企業,角川,小学館などがあげられているが
改正されたときに大きな損害を受けると思うのに
なぜ大きな流れになっていないのか.

杉野さん:
(出版などの側から)ロビーイングをしている

大きなアクションに見えてないかもしれないが
動いてないわけではない
この問題は,企業だけ動くのではなくて,作家の方たち,市民も
発言していかなければならない
すぐ動けるものではないが雑協さんも広告出している

最近販売されている漫画雑誌には意見広告が入ってるはずなのでみてほしい
企業が正面に出ると「おまえら儲けたいからやってるんだろ」という
テンプレートな反応が返ってきてしまうので,周りが盛り上がってくるとよい.

匿名:
今回の条例は,よく考えた上で,先に業界の自主規制をやって
それでも補えなければ条例を作るべきだと思っている
今回問題になっているのが,青少年への影響と
18歳以上の青年がロリコン漫画などを読んだときの影響が
ごっちゃに語られているように思う

青少年は青少年,18歳以上は18歳以上とわけて考えるべきと思う
青年は20歳をこえていれば,ロリコンやショタコンを読んでも行動しない
という責任が伴う

男性:
竹宮先生にお伺いしたいが,『風と木の詩』を途中まで読んだが
感銘を受けたんだが

こんかい図書館で読んだが,近所の図書館を調べたら,青年向けの
マンガの所に置いてあったが,フラワーコミックスで子ども向けの所にも
置いてある.
当時連載されたときに少女コミック
小学生が読むにしても,低学年・高学年.あるいは中学生,高校生によって
細かい心情理解も変わってくると
対象とする読者が異なることに対して
どのように考えて描いていたのか
ゾーニングをするのにあたって,『風と木の詩』制限をかけるべきなのか

少女コミックにかんしてマンガ家・業界の出版の方から
自主規制の話は出てこないのか
先生・生徒モノがジャンルとしてあるが
純愛を求めたのに先生がスイッチが入ってしまったとか
1ジャンルとして,せつなさを描かずに単純にふつうの恋愛として
あやふやな描写が増えている気がした
その意味でも,業界で自主規制すべきなのでは

(以下PCバッテリ切れ)

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